調布飛行場周辺  掩体壕:2011〜2013年にかけて数回。飛行場正門・門柱と高射砲陣地跡:2013年4月訪問。

調布飛行場は昭和16年(1941)に官民両用の飛行場として作られたが、同年8月から陸軍専用飛行場として使用され、首都圏防衛の拠点として、三式戦闘機(飛燕)を主力とした飛行第244戦隊が置かれたという。
本土爆撃の増加に対し、昭和19年(1944)6〜9月にかけ掩体壕が60(有蓋、無蓋各30)も作られたが、現在は調布市、府中市に二つずつ残っている。また周辺には掩体壕以外にも当時の面影を残すものがあり、家から近いので自転車こいで回ってみた。

<府中 白糸台掩体壕>
甲州街道(国道20号)わきにあるが、府中から新宿へ向かって車を飛ばすと西武多摩線を乗り越えるため道路が高くなる所にあるので、見落としてしまう。しょっちゅう甲州街道を走っていても知らない人が多いと思う。
解説の立て看板があり、手前にはベンチ。小さな公園の風情。
後方の高台のような見える部分が甲州街道。右方向が新宿。
工事中の様子。甲州街道の歩道から、2012年撮影。
一番高い前部分でもこの程度だが、実際は地上部分と同じくらい掘り下げているので
中は3m以上の高さがあったとのこと。
 (内部)掘り下げて再現されてはいないので、非常に天井が低い。
<都立武蔵の森公園内>
調布飛行場の北側の都立武蔵の森公園内に二つ掩体壕が保存され、大沢1号・大沢2号と命名されている。
北側にある公園の高台からの眺めは感動もの。以前“モヤモヤさまぁ〜ず2”
一行が訪れた。中央遠方に見えるのは“味の素スタジアム”
左に目線を移すと公園内の掩体壕が見える。左手前が2号。右奥に1号。
掩体壕大沢1号。前面がふさがれ飛燕の絵が描かれている。
大沢1号の解説版の横にはブロンド製の模型も展示されている。
これだと地下に掘り下げられて格納された様子がわかる。
大沢2号。府中白糸台と比べると奥行きがかなり短い。 掩体壕のすぐそばで子供連れでのんびり過ごす人たち。平和そのもの。
<飛行場正門・門柱> 飛行場の東側の道を南下すると飛行場正門の門柱の一つが残されている。バス停「大沢5丁目」わき。

<高射砲陣地跡>
そのまま道なりに進み天文台通りを左折、大沢橋で野川を渡ると右手に小学校。その次の道を右に入ると登り坂になり、登りきると右側に案内板がある。社会福祉法人の敷地内のようだが “首都防衛高射砲陣地跡” の文字が!

保育園の職員に声をかけると中へ入れてくれ、説明もしてくれた。(入場時、名前と住所を記入)
「昭和18年9月に首都防衛のため東部1903部隊調布隊が置かれ、ここに高射砲6門と観測機材が設置された。米艦載機との戦闘で4名戦死、多数の負傷者を出した。終戦間際の昭和20年4月に富山港へ移転した。」…このようなことが園内の記念碑に刻まれている。そして現在はそのうち3門の砲台部分の原形を見ることができる。あと1門はプラネタリウムがある場所。
円形の砲座をそのまま花壇にし、国旗掲揚の柱を立てている。 園の端っこに記念碑が建っており、部隊の経緯を伝えている。
裏の出口は駐車場に通じていてそこにも一つ。 もう一つは職員宅の中。高台の淵で、その先に飛行場を臨む場所。
戦車や戦闘機の展示などに比べればどれも実に地味なものである。しかし自宅から自転車で回ることができるこんな近場で
歴史の証人たちに会えて、何ともいえない感動が味わえた。
皆さんも自分の住む町の近所を調べてみください。意外な発見と感動に出会えるかもしれませんよ。